わが神、わが岩、わたしは彼により頼む。わが盾、わが救の角、わが高きやぐら、わが避け所、わが救主。あなたはわたしを暴虐から救われる。 サムエル下22・3
わたしは、天地のつくり主、父なる神を信じます。わたしは、この世のだれにもたよりません。自分自身にもたよりません。力、技巧、財産、信心深さ、その他、いっさいわたしのものにはたよりません。また、天にあり、地にある、いかなる被造物にもたよりません。ただ、すべての被造物を統治される天地のつくり主、唯一の、まことの、見ることも、理解することもできない神にのみ信頼を置きます。もはや、悪魔と、その同類の、いかなる邪悪にも驚かされません。わたしの神はこれらすべてにまさっておられるからです。たとえ、すべての人に捨てられ、追われたとしても、神への信仰はいささかも弱められません。わたしが、貧しく、無知で、無学で、軽べつされ、またなにもなくても、それでもなお信じます。わたしは罪人ですが、それでもなおますます神を信じます。わたしの信仰は、すべての存在と非存在をのりこえ、罪も、徳も、そのほかすべてのものをのりこえて、進まなければならないからです。それは、第一の戒めがすすめているように、つねに神のうちに純粋、素朴にとどまるためです。
また、わたしは神にしるしや証拠をもとめません。主をこころみることを願わないからです。まことの信仰、信頼のうちにあって、神のみこころのうちに、すべてをゆだねるのです。
主が全能者でいますならば、主がわたしに何を与えることもなすこともできないために、私が窮乏することがありうるでしょうか。主は天地の造り主、万有の主でいましたもうならば、だれがわたしから奪ったり、私を傷つけたりすることができるでしょうか。あらゆるものを従わせ支配したもうかたが、わたしに善いものを与えたもうならば、どうして万物が、わたしに仕え、善とならないことがあるでしょうか。
使徒信条の要解