「わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない」 ヨハネ15・4
キリスト者でありたいと願う人は、だれでも、キリストというぶどうの木から新たに生まれ、そして成長しなければなりません。
わたしが福音により回心し洗礼を受ける時、聖霊が臨在し、わたしをとらえて粘土のひとかたまりのように新しい被造物へとつくりかえてくださいます。わたしは新しい心と思いと思想を受けとります。すなわち、神についての正しい知識と、主の恵みに全く信頼する心を与えられます。簡単に言えば、わたしの魂の内なる人は新しく造り変えられ、キリストというぶどうの木につぎ木された新しい枝となり、主にあって成長します。それは、わたしのきよさ、義、純潔はわたしから出るのでもなく、わたしによるのでもなく、キリストのうちにのみ存し、キリストから出るからです。このキリストのうちに、信仰によりわたしは根をはり、樹液がぶどうの実へと伝わるように、わたしは主に似たものとされ、それにより、いまやキリストとわたしはひとつの性質、ひとつの本質に属するものとなります。このキリストによりわたしは実を結びますが、それはわたしのものではなく、ぶどうの木のものです。このようにしてキリストとキリスト者はひとつのパンとなり、ひとつのからだとなり、キリスト者は本来の実を結ぶようになります。それは、アダムの実でも、自分の実でもなく、キリストの実であります。
ヨハネ福音書14−15章の講解