人々が眠っている間に敵がきて、麦の中に毒麦をまいて立ち去った。 マタイ13・25
このたとえの意味は、キリスト者、特に説教者は、自分の教会に聖徒ばかりがいるようにできなかったといって、落胆したり、元気をおとしたりすべきではないということです。悪魔はけっして遠く離れて立っておりません。いつの間にか種をまいて行きます。それで芽が出てきますと、すぐそのことがわかります。パウロの場合にも、ヨハネの場合にも、他の使徒たちの場合にも、この問題が起こりました。福音のうちに信心深い聖徒と忠実な働き人が与えられると望んでいたところに、もっとも邪悪なならず者と、もっとも激しい敵が現われました。そして現在のわたしたちにもこのことが起こっております。信心深く正しいと思っている人たちが、最大の危害を加え、いちばんの障害をきたらせます。それはわたしたちが眠って、悪に油断をしているからです。
そこで、キリストがこのようなことが起こると警告してくださっていることが唯一の慰めです。このためにヨハネも彼の手紙の中に書かれているような困難に直面しながらも、慰めを得ることができました、「彼らはわたしたちから出て行った。しかし、彼らはわたしたちに属する者ではなかったのである」。最善であるべきはずのものが最悪のものにかわるというのが、この世のならわしです。天使が悪魔になりました。使徒のひとりがキリストを裏切りました。キリスト者が異端者になります。神の民から、キリストを十字架に釘づけする悪人が出ました。
今日もこれと同様のことが起こっております。それゆえ、わたしたちの宣教のわざのうちに、麦の中に毒麦がはえているのを見ても、おどろいたり、落胆することなく、むしろ、確信をもって前進し、だれも迷わないようにわたしたちの兄弟にすすめなければなりません。
1544年の説教から