ご自身をいけにえとしてささげて罪を取り除くために、世の終りに、一度だけ現れたのである。 ヘブル9・26
このみことばを知り、これに信頼する時、心は喜びにおどります。そして、罪はキリストの上におかれたから、わたしは罪を知らないと、確信をもって明白に言うことができます。罪は主とわたしたちの上に同時にかかることができないからです。それゆえ、だれも自分の義で罪をあがなったと言うことはできません。罪をあがない消し去ることはキリストにのみできることです。そしてキリストは、わたしのわざによっても、あなたのわざによっても、だれのわざによっても獲得することができません。また、キリストがわたしたちの罪のためにささげてくださったからだと血の場合も同様です。そうではなく、主ご自身が、まことの神人として全世界の罪を負ってくださったのです。主はその洗礼と十字架によって罪を滅ぼし、その力を抜き去られました。そして、あなたがたのためにご自身のからだをささげられ、あなたがたの罪のゆるしのために血を流されたことをのべ伝えさせられました。もしこのことを信じるならば、あなたの罪はゆるされ、あなたはきよく正しいものとなり、聖霊を受け、それによって今からのち罪に打ち勝つことができるようになります。また、弱さのために罪に打ち負けることがあったとしても、信仰のうちにとどまっているかぎり、あなたのものとして数えられることはありません。
これが罪のゆるしの意味です。
復活日後金曜日の説教