御霊みずから、わたしたちの霊と共に、わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。 ローマ8・16
かたい信仰と望みをもって神の子であることを確信している人は、たしかに神の子です。聖霊によらなければ、だれもこのような確信を持つことができないからです。あなたがたが、神による以外には罪を消されることはないと信じるならば、それはよいことです。だが同時に、キリストにより罪がたしかにゆるされたことも信じなさい。(もちろん、聖霊が信じる力を与えてくださらなければ、それは不可能です)。あなたがたの罪がゆるされているという信仰は、聖霊があなたがたの心に与えるあかしにほかなりません。このようにして人は信仰によって義とせられます。これこそパウロの言おうとしていることです。
いさおしについてもこれと同じことが言えます。キリストから離れてはこのようないさおしに達することができないことを信じるだけでは十分でありません。真理の御霊がこられて、あなたがたはキリストによりたしかにいさおしを持っていることをあかししてくださることが必要です。そしてどんなわざにしろ、あなたがたのわざが神に喜ばれ受けいれられることをかたく信頼するならば、そのことが起こるのです。しかも、あなたがたのわざにもかかわらず、神の前に無価値であることを認めているならば、それはこのような信頼のたしかなしるしです。あなたがたはもはや悪のわざをしませんから、そのわざが良いものであり、神にたいする従順によってそれがなされた場合であっても、そのような態度をとるのです。そしてこのようなけんそんと、良いわざにたいする良心の休まない状態が、それを神に喜ばれるものとするのです。
永遠の生命についてもこれと同じことが言えます。主がただ恵みによって、この生命を与えてくださるということを信じるだけでは十分でありません。あなたがたは、神の助けによって永遠の生命に至るのであるという御霊のあかしを持たねばならないのです。
ローマ人への手紙講解