自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。 ガラテヤ5・1
キリストはわたしたちを人間の義務から解放されたのではなく、永遠の怒りから解放してくださったのです。それはどこでですか。それは良心においてです。それがわたしたちの自由の限界であって、それ以上に進むことはできません。それはキリストがわたしたちを霊的に自由にしてくださったからです。すなわち、わたしたちの良心が自由となって喜び、神の怒りのくることをもはやおそれることがないという意味で、解放してくださったのです。これこそまことの自由であって、だれもその価値の高さを十分はかることができません。神がもはやお怒りにならず、また、これからも怒られることはなく、キリストのゆえに、今ものちも、つねに恵みとあわれみにみちた父となってくださったと確信することの、驚くべき偉大さを、だれが十分にあらわすことができるでしょうか。神のみいつがわたしたちに恵み深いということほど、あらゆる理解をこえた驚くべき自由はありません。 そしてこのことから他の自由も生じてきます。すなわち、キリストを通して律法と、罪と、死と、よみと、悪魔の力から自由にされるのです。キリストがわたしたちを自由としてくださって、神の怒りはもはやわたしたちをおぴやかすことをせず、そのため、律法と罪も、もはや、わたしたちを訴え、罪に定めることがないからです。
ヨエル書講解