「わたしはあなたがたに、へびやさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を授けた。だから、あなたがたに害をおよぼす者はまったく無いであろう」 ルカ10・19
神はすばらしい熟練工であって、わたしたちを害し妨げるものを、かえって、わたしたちの助けとし、前進の役に立つようにと変えてしまう腕前を持っておられます。わたしたちに死をもたらすものが、わたしたちに生命を得させる役を果たします。わたしたちを罪と罪過におとしいれるものが、わたしたちの希望と信仰をよりかたくし、わたしたちの祈りをより強くし、もっとゆたかに答えられるようになる役を果たします。
それは、世の目的と思いに反対の結果をいつもきたらせる熟練工がいらっしゃるからであり、このかたは、世にとっては悪を意味するものを用いて善をきたらせられます。主は無から有を呼び出し、すべてを変えて、新しいものにつくり変えられる神であるからです。キリスト者が足下に踏みつけられ、頭を切り刻まれている時、それは決してほまれや、栄光や、喜びや、祝福には見えず、全く正反対の感じを受けます。しかし、主はこうおっしゃいます。「わたしは無から有を呼び出し、悲しみと悩みの心から、純粋な喜びを呼び出すことができる。わたしはこう言うことができる、死と墓よ、生命になれ。よみよ、天国と祝福となれ。毒よ、鎮痛剤となり、薬となれ。悪魔と世よ、わたしが愛するキリスト者のために、天使や聖徒よりもよく奉仕するものとなれ。わたしはあらゆる悩みと苦しみを通して、わたしのぶどう畑がよりよいものとなるようにと世話し、造り、また、そうすることができるからである」
ヨハネ福音書15章の講解