祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神、わたしたちの救主キリスト・イエスの栄光の出現を待ち望む。 テトス2・13
わたしたちは、このみことばについてしばらく思いめぐらしてみようではありませんか。パウロはこれを祝福に満ちた望みと呼び、この邪悪で不幸な世と対比させております。この世には不幸と、危険と、罪だけしかなく、それがわたしたちを追いつめ、苦しめ、そのためにこの世に属するすべてのことはわたしたちにとってうんざりするものとなり、一方ではわたしたちのうちにあるこのような希望を強めることになります。このことは健全で、正しく、信心深い生活を送ろうと正直に努力する人々に起こります。わたしたちは患難を貴重なものと見、それにほまれを帰せます。それは悲しみが忍耐を教える助けとなり、忍耐が練達を生み出し、練達は希望に至ることを教え、希望はわたしたちを恥ずかしめに終わらせることがないからです。 このようにしてわたしたちの目は地上の目に見えるものにむかって閉じられ、むしろ永遠の見えないものを望むようになります。そしてこれらすべては恵みにより十字架をとおして働きます。これがわたしたちのうちにある信仰生活を確立させますが、それはこの世にとっては耐えられないことです。
クリスマス前夜の説教