「あなたこそは、永遠に、メルキゼデクに等しい祭司である」 ヘブル5・6
祭司ということばは、強く、しかも、愛すべきことばです。地上にこれ以上になつかしく愛すべきことばはありません。キリストを主と呼んだり、他の名称で呼ぶよりも、「祭司」と呼ぶ方がずっと美しいのです。祭司職は霊的な権威であって、祭司だけがなすことができ、自分の罪であるかのように民のすべての罪の責任をとることのできる権威です。彼は民のために神にとりなし、神からみことばを受けとって、民を慰め助けることができます。これは、「父」や「母」よりももっと慰めとやさしさに満ちております。この名称はわたしたちに他のあらゆるものをもたらすからです。祭司であることによって、主は神をわたしたちの父とし、ご自分をわたしたちの主とされるからです。わたしが主の祭司職を信じる時、主のみわざは、わたしたちの仲保者として天に座し、父の前にたえずとりなしをなし、いつもわたしたちのかわりに語っていてくださることにほかならないことがわかります。この事実こそ、人間に与えられる最高の慰めであり、わたしたちの心に訴える、これ以上すばらしい説教はありません。
主はご自分を一度だけささげられました。それによって、祭司と同時に、犠牲のそなえものとなられました。そして、祭壇は十字架です。主がご自身を殺し、愛の火の中に焼き尽くされる以上に、神にささげることのできる貴重なそなえものはありません。これこそまことの犠牲のそなえものです。
創世記14章の講解