あなたがたは知らないのか。キリスト・イエスにあずかるパブテスマを受けたわたしたちは、彼の死にあずかるパブテスマを受けたのである。 ローマ6・3
このことばの意味は、祝福のうちに罪に死に、神の恵みのうちによみがえることです。それによって、罪のうちにみごもって生まれた古い人はおぼれ死に、新しい人が恵みによって現われ、よみがえり、生まれてきます。こうして、罪は洗礼のうちにおぼれ、義が現われます。
そして、このような罪の溺死は、からだが死にのまれ、滅ぼされるまで、この地上では完成しません。洗礼の礼典、すなわち、しるしはすぐ行なわれます。しかし、霊的洗礼と罪の溺死という洗礼そのものの意味は、地上に生きている間は完全に成就せられません。死ぬ時にはじめて完成されます。その時、人は真に洗礼のうちに沈み、その意味は成就されます。それゆえ、この地上の全生涯は、死に至る絶え間ない洗礼にほかなりません。 そして、洗礼を受けた人はだれでも死にさだめられているのです。
それゆえ、キリスト者の生涯は、洗礼から墓場まで、祝福された死への歩みにほかなりません。最後の日に、神は彼を新しい違った人にされるからです。
聖にして尊ぷべき洗礼の礼典についての説教