わたしは思う。今のこの時の苦しみは、やがてわたしたちに現されようとする栄光に比べると、言うに足りない。 ローマ8・18
今、太陽は明るく輝く光であって、どれほど輝く鋭い目を持った人でも、その輝きをじっと見つめていることはできません。さて、太陽の光線が今の7倍も明るい時がきたらどうなるでしょうか。そのような太陽にたえることができるためにはどんな輝いた明るい目が必要でしょうか。もしアダムが造られた時の無実な状態にとどまっていたとしたら、彼は明るい輝く目をもって、わしのように太陽を見つめることができたでしょぅ。しかし、罪と堕落により、わたしたち人間はからだも、魂も、目も、耳も、すべてを弱められ、損じられ、腐敗されたので、わたしたちの目はアダムの墜落する前の目の力の100分の1もありません。わたしたちのからだは汚れ、すべての被造物は虚無に服してきました(ローマ8章)。太陽も、月も、星も、雲も、空気も、地も、水も、もはやかつてのようにきよく、美しく、愛すべきものではありません。しかし、かの日には、パウロがローマ8章に言っているごとくすべてのものは新しくされ、もう一度美しくなります。「かつ、被造物自身も、滅びのなわめから解放されて、神の子たちの栄光の自由にはいるのである」
1537年の説教から