みどりごと、ちのみごとの口によって、ほめたたえられています。あなたは敵と恨みを晴らす者とを静めるため、あだに備えて、とりでを設けられました。 詩篇8・2
なぜ、キリストはこのような国をつくられましたか。なぜ、敵に抵抗し、敵の力を打ち破るために、天上の君や、霊、ガブリエル、ミカエルなどの天使をおくられないのですか。敵と恨みを晴らす者とは、強く力をもった霊です。彼はこの世の神であり、君であり、強い永遠の王国を支配しております。そこにはたくさんの霊が仕えており、それぞれが地上の全人類よりも強いのです。
その答えはこうです。わたしたちの主は、ガブリエルやミカエルをこのためにお用いになりません。むしろ、みどりごとちのみごの口に力をおかれます。なぜなら、敵の悪は大きく、怒りは激しいですから、この邪悪な、いつわりの怒りの霊を低くし、あなどることは、造り主のみこころにかなったことだからです。それゆえ、このような力を示すため、ご自分を低くして、人となられ、すべての人にご自分を従わせられました。詩篇22篇にもこのように書かれています、「わたしは虫であって、人ではない。人にそしられ、民に侮られる」。キリストはマタイ八章でご自分について言っておられますが、貧しさの限りをつくされました。このように、弱いからだと、みすぼらしいすがたをもって、キリストは敵を攻撃されました。そして、十字架につけられ、殺されるにまかせられました。しかも、この十字架と死によって、敵と恨みを晴らす者とに打ち勝たれたのです。このように、わたしたちの主なる神は天使たちの力をさしおいて、地上の最も無学で、愚かな、弱い人々をとり、悪魔と世の知恵と力とに対抗させられます。これが神のみわざです。それは神が死者を生かし、無から有を呼びだされるかただからです。弱さを通して神の大能と力を示されるのが神の本質です。このようにして、わたしたちの主なる神はみ国を建設されます。弱さの中に建設され、弱さから強さが出てきます。
1537年の説教から