このように、あなたがた自身も、罪に対して死んだ者であり、キリスト・イエスにあって神に生きている者であることを、認むべきである。 ローマ6・11
このようにこの人は、全くきよくきずなく、神聖なものに造られています。これは、神のしるし、すなわち洗礼を受けていることを意味しています。これは彼のすべての罪が死ぬことを示しており、彼は恩恵のうちに死に、終わりの日に再びよみがえり、純粋になり、罪から解放され、永遠に生きることを示しています。このようにこの礼典によって、彼は罪から解放されて純粋であることは真実ですが、しかしまだ完了していませんから、罪にみちた肉のうちになお生きていますし、まだ罪から解放されてはいませんし、あらゆることから純粋でもありません。しかし、純粋できずなきものになりはじめているのです。
けれどあなたがたは言うでしょう、もしも洗礼が完全にわたしの罪を殺し、きよく洗わないとすれば、洗礼は何の役に立つのですか、と。ここで理解すべきことと、洗礼の礼典の知識とをのべましょう。
第一に、あなたがたは礼典に服従しますが、その意味は、あなたがたは罪に死のうと欲し、礼典の手段によって、終末の日に新しくされようとすることを示します。神はこれを受け入れ、あなたがたが受洗することをゆるされます。この時から神はあなたがたを新しくしはじめられます。神はあなたがたにその恩恵と聖霊をそそぎ、あなたがたの罪にみちた性質を殺し、あなたがたに死を準備させ、最後の日に再びよみがえることを始められます。
さらに、もしもあなたがたがこのようにしていて、生きるかぎり、そして死に至るまでも罪を征服することを約束するならば、神はそれを受け入れ、地上の全生涯を通じて多くのよきわざと多くの苦しみとをあなたがたに備えてくださいます。こうして神はあなたがたが洗礼で望んだことをなしたまいます。それは、罪からあがなわれ、最後の日に新しい生命によみがえることです。