おのおの、自分のことばかりでなく、他人のことも考えなさい。 ピリピ2・4
ここで、パウロがわたしたちの前に示しているキリスト者の理想の姿について考えてみましょう。パウロはわたしたちのすべてのわざが、隣人の益となるように努力すべきことをすすめています。わたしたちひとりびとりにとって信仰は十分であり、わたしたちの働きと生涯のすべては、隣人に対する惜しみない愛の奉仕に用いられるようにと、主のみ手にゆだねられているからです。
神はこの無価値で罪に定められたわたしに、わたしの側にはなんのいさおしもないのに、キリストにあって惜しみのない純粋の愛から、はかり知ることのできない救いと愛の宝を与えてくださいました。それゆえ今後、わたしはこれが真理であると信じる以外になにも必要としないようになったのです。しかし一方、わたしはこのようにあふれるばかりの祝福を注いでくださった、父なる神に喜んで心から仕え、主のみこころにかなうことをせずにおれるでしょうか。またキリストがわたしに対してそうであったように、隣人に仕えるキリストとなり、彼の救いのために役立つあらゆることをせずにおれるでしょうか。信仰によりわたしのすべての不足はキリストにあってみたされているからです。
このようにして、信仰からは、神にたいする愛と望みがあふれ、愛からは、隣人に対して惜しみなく奉仕する喜びにみちた輝かしい自由な生活が現われてきます。
キリスト者の自由