患難は忍耐を生み出し、忍耐は錬達を生み出し、錬達は希望を生み出すことを、知っているからである。 ローマ5・3−4
神は人の信仰を強めようとされるとき、まず彼の信仰を破壊するようなふりをして弱められます。彼を多くの悩みの中に投げ込み、全く疲れさせて、絶望の淵へ追い込みます。しかもなお神は静かに耐える力を与えられます。このような静けさは忍耐であり、忍耐は錬達を生み出します。それで神が再び彼のところに帰ってこられ、太陽が再び現われて照り輝き、あらしが過ぎる時、彼は驚きの目を開いてこう言います、「主はほむべきかな。わたしは悪より救い出された。神はここに臨在されている。すべてがこんなにもすばらしい結末になろうとは夢にも思わなかった」
1日か2日の後、または、1週聞か1年のうちに、あるいは次の時間においてすら、罪はわたしたちをもうひとつの十字架のもとへ連れてゆきます。名誉、財産の損失、負傷、その他、なにかの悩みをもたらす不幸です。そしてすべてはまた新たにはじまり、嵐が今一度吹きすさみます。しかし今や、わたしたちは悩みの中にも主をほめたたえます。なぜなら、以前、神はわたしたちに恵み深かったことをおぼえており、わたしたちをこらしめるのは神の恵み深いみこころによることを知っているからです。それゆえ、わたしたちは主のみもとに走ってゆき、こう叫びます、「これまでしばしばわたしを助けられた主よ、今わたしを助けてください」。(こうしてあなたに、「わたしは自由でした。神よ、今来てください。わたしが助けを受けられるように」と叫ばせる)心のうちにあるうえかわきは希望です。この希望は恥に終わることがありません。なぜなら、神はこのような人をかならず助けられるからです。
こうして神は死の下に生命をかくし、よみの下に天国をかくし、愚かさの下に知恵を、罪の下に恵みをかくしておられます。
1527年の説教から