「そこで、まず第一に勧める。すべての人のために、願いと、祈りと、とりなしと、感謝とをささげなさい」 第一テモテ2・1
公同の祈りは、尊く、もっとも力強い祈りです。そのためにこそ、わたしたちはともに集まって祈るのです。教会は祈りの家と呼ばれ、そこへわたしたちは霊の一致をもってともに集まり、あらゆる人々の悩みと悲しみに思いをはせ、祈りのうちに神のみ前にたずさえ、神の恵みを願い求めるのです。この祈りは真剣に、また、幼な子のような感動をもってなされるべきです。なぜなら、わたしたちはすべての人々の悩みを感じており、それゆえ確かな信頼と確信のうちに、まことの同情の気持ちをもって神に祈るからです。
願わくは、そのように祈る会衆があり、全会衆のひとつ心の真剣な心からの願いが神にとどくように、そのような祈りにははかり知ることのできない結果と恵みが伴います。あらゆる悪霊の上にいかに大きな災禍が降りかかることでしょうか。地上にいかにおどろくべき事件が生じることでしょうか。それによって数えきれない多くの魂が救われ、多くの聖徒が支えられることでしょうか。
しかもこうしたために、わたしたちがいっしょに集まるための場所や建物が不足していることはありません。高くそびえる大きな輝かしい教会、鎧、塔は必要ありません。ただ、わたしたちが心を合わせ、神にささげるための、この不屈の祈りが必要なのです。
善きわざについての説教