正しきものはその死のうちに望みをもつ。(正しい者はその正しきによって、のがれ場を得る−聖書協会訳) 箴言14・32
もし死がないとすれば、罪は決して死なないでしょう。死によってのみ罪は妨止され、それ以外に罪を取り去る方法はありません。このように、罪が死によって滅ぼされるという恵み深い有益な刑罰を、神はわたしたちに与えてくださいました。それゆえ、わたしたちは忠実な信仰者とともに、喜びの心をもって死を受け取り、恵み深い父から来るものとしてそれに耐えます。わたしたちの父のいつくしみは、死でさえも、あらゆる不幸を抜き去り滅ぼすために役立たせるほど大きいのです。
それゆえ、死は恵み以外の何物でもありません。生命のはじめですらあるのです。死は魂の回復に役立つのですから、わたしたちの人体組織と、それに関係するすべてのもの、すなわち、病気や、危険や、痛みや、労苦なども叉わたしたちの益となるために働くのであって、それ以上によいものは望めないほどです。
キリストが完全によみがえる前に、アダムが死に、滅びなければなりません。そしてそれは悔い改めの生涯にはじまり、死によって完成されます。それゆえ、死はキリストを信じるすべての人にとって有益なものです。アダムから生まれるすべての人にとって、死は腐敗とちりのみをもたらすのであって、キリストのみが、わたしたちのうちに住んでくださるからです。
七つの悔い改めの詩篇