信じてパブテスマを受ける者は救われる。 マルコ16・16
もしも人間が罪に陥ったなら、痛切に洗礼のことを考えるでしょう。もしも死に至るまで罪と戦うつもりなら、神はそれによってすべての罪をゆるすことを約束しておられるからです。この真理と約束とを、喜びにあふれつつ思い起こすなら、洗礼はその働きと力を新しくし、心は再び喜びにあふれ、満足します。しかしそれはその人自身のわざや献身によってではなく、洗礼によって永遠に守ることを約束された神の恩恵によってであります。この信仰をしっかりつかまえなければなりません。たとえあらゆる被造物やすべての罪が、その上に倒れかかってきても、それにしがみつかなければなりません。なぜならこの信仰が奪い取られることをゆるす者は、洗礼の礼典によって与えられた約束にもかかわらず、神を偽り者とするからです。
聖にして尊ぶべき洗礼の礼典についての説教