・・・神を知る知識をいよいよ増し加えるに至ることである。更にまた祈るのは、あなたがたが、神の栄光の勢いにしたがって賜わるすべての力によって強くされ、何事も喜んで耐えかつ忍ぶことである。 コロサイ1・10、11
このような力と栄光ある権威をもって、わたしたちは信仰のうちに強められ、神のことばによりそのために戦い、それにすがりつかなければなりません。そしてわたしたちが出発するだけでなく、前進し、勝利を得、主の力によってますます強く成長するように祈らなければなりません。
しかしそのように強められ、打ち勝つことは大きな忍耐なしにはできないことです。また忍耐だけでなく、忍びとおす「しんぽう強さ」が必要です。パウロはこのしんぼう強さを忍耐よりもさらに大きく強いものとして区別しております。なぜなら悪魔が苦しみと悲しみによって心を攻め囲んでも征服できないときに、その方法を用いるからです。そのとき、忍耐するにはとても大きすぎ、ながすぎるようになり、もう決して終わりがこないかのように思わせるのです。そして最後には弱って疲れきり、敵を征服する勇気と希望を失わせるまでに攻撃します。
こうした攻撃に対しては忍耐だけでなく、しんぼう強さが必要です。それによって苦しみの中にもしっかりと動かず持久しつつ、(悪魔にむかって)言います。あなたがたとえ世の終わりまで悩ましつづけても、わたしにとってそれが大きすぎ、ながすぎるようにはできない。これが戦いと苦しみの中にいつも耐えつづけさせるまことの勇者としてのキリスト者の力です。そのため、神の力と勢いの大部分を祈りを通じて与えられ、それにより激しい戦いにも負けることなく最後まで戦いぬきます。
このような忍耐としんぼう強さをあなたは喜びつつ実践するのです。
三位一体後第24主日の説教