神は愛である。 第一ヨハネ4・16
「神は愛である」とは、いったいどんな意味でしょうか。それは目を開きさえすれば、だれでも見て理解することのできる明白なものです。神の恵みのたまものは、あなたがどちらを向いても毎日見ることができるからです。太陽、月、光にみちた空、そして、地上は、木の葉と、草と、多くの種類の植物によってみたされ、わたしたちに食物を与えるように準備されています。さらに、父、母、家、平和、安全、世の統治者による保護、等があります。そして、これらすべてに加えてその愛するみ子をあなたがたに与えてくださり、福音によってあなたがたのところにみ子を宿らせてくださって、あらゆる悲しみとはげしい悩みの中であなたがたを助けてくださいます。いったいこれ以上のことを神があなたがたのためになさることができ、また、あなたがたがこれ以上に良いものを求めることができるでしょうか。神の愛は燃えつくす火であって、人間の知恵では窮めつくすことができません。しかし、この愛を見、心にとめることのない人は、こうもりのように目が見えないか、石のようなかたくなか、それとも死んでいるかです。
さてここで、(ヨハネは言っていますが)、あなたがたがキリスト者でありたいと望み、神を知ることを望み、神が純粋な愛以外のなにものでもなく、その愛をもっとも豊かにわたしたちの上に注いでくださることを見、また知るならば、この愛をあなたがたの心にうけとり、同じことを隣人にすべきであります。というのは、神のこのような愛の焔を感じる人は、それによって少ししか暖まらず、少ししか燃えないということはありえないからです。
1532年の説教から