神の受けられるいけにえは砕けた魂です。 詩篇51・17
わたしたちの悩みが、神にとってもっともよろこばれるいけにえであるということは、わたしたちが信じることさえできれば、なんという尊い約束でしょうか。主なる神は、わたしたちの説教と苦しみと悲しみを喜ばれます。それらは最高のいけにえです。ここで神は讃美と感謝のいけにえについては語っておられません。ここでは悲しみと回心が最大のいけにえであるということを、教えておられるのです。それらは古い人を抑制するからです。今、わたしがのべ伝えるなら、わたしたちの主なる神をたたえつつそれをします。それによってわたしは朝晩のいけにえをささげます。主はみことばがのべ伝えられる時にもっとも喜ばれます。そして宣教は人の与えることのできる最高のいけにえなのです。もし正しい態度でのべ伝えている人があるならば、その人はわたしたちの主なる神をたたえていることになります。また、そのために投獄されるなら、さらに大きないけにえをすすんでささげていることになります。そのような悩みと苦しみは神をもっともよろこばせ、千のいけにえにまさるともおとりません。くだけた悔い改めの心は、レビのいけにえすべてにまさったいけにえとみなされます。わたしたちが、このすばらしい事実を信じることができますように。
詩篇についての短文