ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである。 ヘブル9・12
主は、そのみ国と統治を通して、わたしたちをあらゆる悪から守ってくださいます。一方、主は、その祭司職を通して、わたしたちをあらゆる罪と神の怒りから守ってくださいます。主は神をわたしたちに和解させるために、ご自身をささげ、わたしたちの身代わりとなられました。それによってわたしたちは、主を通して神に信頼することができます。また、わたしたちの良心も、もはや神の怒りをおそれたり、主のさばきのおそろしさの中に立つ必要がなくなります。これについてパウロも次のように言っております「わたしたちは、わたしたちの主イエス・キリストにより、神に対して平和を得ている。わたしたちは、さらに彼により、いま立っているこの恵みに信仰によって導き入れられている」(ローマ5・1−2)
わたしたちが神に対して確信をもち、良心に平安を有し、それによって神がもはやわたしたちに怒りを注がれることがなく、わたしたち自身も自分を責めることがないように主がしてくださったということは、被造物によってわたしたちが受ける、あらゆる危険を取り去ってくださることより、はるかにすばらしいことです。罪過は苦痛にまさり、罪は死にまさるからです。死をもたらすのは罪であり、もし罪がなければ、死もないでしょうし、死がわたしたちをおびやかすこともないからです。
罪と、あしき良心と、神のおそろしい怒りとさばきを、克服してくださるこの大祭司をもてるならば、それはなんという力強い城でしょう。堅い信仰をもって、「あなたは永遠の大祭司です」と告白できるほど強い武器はありません。
1522年の説教から