「御国がきますように」 マタイ6・10
この祈りは、二つの働きをします。一方では、わたしたちをへりくだらせ、他方では、わたしたちの心を引き上げます。
この祈りは、わたしたちをへりくだらせ、それによって、神の国がわたしたちのところにまだ来ていないことを公に告白させます。もし、このことを熱心に思いめぐらし、徹底的に祈るならば、実にわたしたちにとっておそろしいことであり、すべての信心深い魂に悲しみと痛みをもたらします。なぜなら、わたしたちは最も愛する祖国を失って、今も追い出されているものであることを意味するからです。ここに二つののろわしく嘆かわしい状態があります。ひとつは、父なる神がわたしたちのうちにある神の国を離れておられるということです。それによって、万物の主であり、主であるべきかたが、ただわたしたちのためにこの高い権威とほまれからきり離されているのです。この事実は、神を真実に愛する人たちにとって、痛みであることは疑いありません。今一つの状態は、わたしたちのものですが、わたしたちがきょうも強敵のいる異国にみじめな生活をしているということです。
しかし、このようなおもいがわたしたちの心をへりくだらせ、自分のみじめな姿があきらかにわかってくるとき、慰めがやってきます。そして、わたしたちのあわれみ深い主キリストは、わたしたちがこれらのみじめさから救い出されるように願い求め、絶望してはならないと教えられます。それは自分がみ国のきたるのを妨害していたことを告白し、み国が来るように、悲しみつつ願う人の苦しみと祈りに対して、神は報いてくださるからです。
ですからこそ「わたしたちはみ国へゆきます」と、わたしたちがその後を追うような祈りをしないで、「わたしたちのところにみ国がきますように」と祈るのです。キリストが地上にいるわたしたちのところに天からこられたのであって、わたしたちが地上から天にのぼって主のところに行ったのではないように、わたしたち自身では決してみ国へ行くことができません。
単純な一般信徒のための主の祈りの講解