「もしだれでもわたしを愛するならば、わたしの言葉を守るであろう」 ヨハネ14・23
地上にある教会は、弱さと、貧しさと、悩み、おそれ、死、恥、責めの中に戦い、存在しなければなりません。わざわいはあなたがたをあなたがた自身から踏み出させ、人の力や、助けや、相談にたよらせないようにします。その時、あなたがたは心のうちにキリストを持ち、キリストのみ名と、みことばと、み国を、地上のなにものにもまさって愛し、尊び、貴重なものと考えるようにならねばなりません。キリストを持たずに、自分のほまれと力、この世の讃美と、情欲と、喜びと、友情をそれ以上に愛する人にとっては、このことばを宣べ伝えても無益であります。キリストご自身もすぐのちにおっしゃっています、「わたしを愛さない者はわたしのことばを守らない」
しかしこれはことばだけで愛することではありません。「わたしのことばを守る」ということばが意味するように、愛の証拠と生きたわざとがともなわねばなりません。すなわち、戦って打ち勝つ愛であります。愛するもののためにすべてをするのが、まことの愛の性質であって、愛にとっては喜んでしないことほど耐えるのに苦しいことはないからです。
主の言うに言われぬいつくしみが、わたしたちの心のまん中にはいってくるならば、わたしたちにとって主のために苦しんだり、耐えたりするのに、重すぎたり、面倒すぎることはなにもありません。ただ主の愛のうちに住むだけです。このことは、みことばを喜んで聞くだけでなく、しっかりと愛にすがり、勝利を得ることを意味します。
ヨハネ福音書14・23−31の説教