しかし感謝すべきことには、神はわたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を賜わったのである。 第一コリント15・57
ここに、キリスト者がどのようにして福音のメッセージを把握し、また、用いるべきかについての教えがあります。戦いがはじまり、律法が攻め、訴え、良心も、このような悪をした、おまえは罪人だ、その行為は死に値する、などと責める時、確信をもって次のように答えることができます。たしかに、わたしは罪人で、十分死に値する。あなたの訴えは正しい。しかし、そのために、わたしを罪にさだめ、滅ぼすことはできない。それは、あなたを妨げるかたがあるからだ。このかたは、わたしの主キリストと呼ばれ、罪がないのに、あなたが訴え殺したかたである。しかし、あなたは、このキリストによってうち砕かれ、焼き滅ぼされ、わたしをはじめ、あらゆるキリスト者に対する特権をすべて失なったことを知らないのか。キリストは、ご自分のためにではなく、わたしのために、罪と死を負ってくださったからである。それゆえ、わたしはあなたに、わたしに対するなんの権利も認めない。むしろ、わたしがあなたを訴える権利を持っている。なぜなら、わたしが無実であるのに攻撃するからである。あなたは、すでに、キリストにより征服され、罪にさだめられたのだから、わたしを平和のうちにおいておくべきであった。わたしはもはや人の子であるのみならず、神の子とされているからであり、主の血と勝利のうちに洗礼を受けているからであり、主の豊かな恵みのすべてを与えられているからである。
このようにして、あらゆるキリスト者はキリストの勝利で武装し、それを武 器として悪魔を追い払わなければなりません。
1532年の説教から