主はその民にあがないを施された。 詩篇111・9
わたしを信じ、わたしのために苦しみ、わたしを信じて死んだ人はおそれるにはおよばない。信じない人はおそれるかもしれない。しかし、あなたはおそれる必要はない。なぜなら、そのようなことはかならずおこるからである。世がかならず砕けて滅びるものであれば、まずいくらかの破壊と爆発がくるのは当然である。そうでなければこれほど大きな構造物がこわれることはありえない。あらゆるものはふるわれ、ゆり動かされなければならない。それはちょうど病人のようなものである。死が彼を打つ時、彼は身をよじり、もだえ、目を回し、口をゆがめる。顔はあおくなり、顔色は変わる。世もそのとおりなるのである。
それゆえ、あなたがたに言っておくが、おそれず、喜び待ち望む人のように、 かしらをあげるがよい。あなたのあがないは近いからである。
このように主はその聖徒にむかっておっしゃるのです。彼らもまた太陽や月が彼らの目を射て、空が火に満ちる時、おそれるからです。聖徒たちは強くありません。ペテロやパウロも生きていたとすれば、おどろくにちがいありません。しかし、わたしたちの主はおっしゃいます。勇気を出しなさい、それはたしかにおそろしい情景である。しかしそれはあなたがたに対するものではなく、悪魔と不信仰者に対するものである。あなたにとっては救いとあがないの喜びがやってくる。そのためにあなたは長い間、うめきながら祈ってきた。わたしの国がきて、あなたがあらゆる罪からきよめられ、あなたがあらゆる悪からあがなわれるように祈ってきた。このように、あなたが心から長い間、祈ってきたことが、その時あなたに与えられるのである。
降臨節第2主日の説教