神は、わたしたちをやみの力から救い出して、その愛する御子の支配下に移して下さった。わたしたちは、この御子によってあがない、すなわち、罪のゆるしを受けているのである。 コロサイ1・13−14
罪は、永遠に変わることなくさばかれています、(神は罪に対しては決してゆるされることがなく、また、おできにならないからです。神の怒りは永遠に変わることなく罪に向けられております)。それゆえ、怒りを取り除き、支払いをなし、罪が取り去られ、完全に消し去られるために、特別に貴重な代償が払われることなくしては、あがないはありえないのです。しかも、いかなる被造物もこれをなすことができず、助けもありません。ただ、神ご自身のみ子が助け主としてこられ、人となられ、ご自分の上に永遠の怒りを負われ、犠牲のそなえものとして生命と血をささげられることだけが唯一の道であります。
わたしたちに対する限りないあわれみと愛のうちに、主はこのことをなしとげてくださいました。ご自分を捨て、永遠の怒りと死を身に負われたのです。この貴重な犠牲は、ご自身の愛するみ子の行為のゆえに、神にとっては限りなく高価なものでありました。み子は神の大能と栄光のうちに神とともにあられたかたですが、このみ子によって神は和解を受け、罪を許し、み子を信じるすべての人を恵みのうちに受けいれてくださるのです。
このゆえにのみ、わたしたちは貴重なあがないの行為の実と結果を与えられて喜ぶことができます。それは、語ることも、測り尽くすこともできない愛から、わたしたちのために獲得してくださり、与えてくださったものです。そこで、わたしたちの側では誇ることは何ひとつなく、ただ、失われ、罪に定められたわたしたち罪人をあがなうために、これほど高価な代償を払ってくださった主に感謝し、讃美するのみです。
コロサイ人への手紙1・3−14の講解