「またもう一度彼に言われた、『ヨハネの子シモンよ、わたしを愛するか』。彼はイエスに言った、『主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです』。イエスは彼に言われた、『わたしの羊を飼いなさい』」 ヨハネ21・16
主なる神よ、わたしたちは、このような大きな愛を理解できないほど盲目なのでしょうか。神がご自分を低くして、わたしたちが貧しい人たちになしたあらゆる行為を、あたかもそれらが主に対してなされたかのように見てくださるほど、低くおりてこられるという事実を、だれが発見することができたでしょうか。
このようにして世界は神に満ちております。どんな裏町の露路ででもキリストにお会いすることができます。あなたがたは戸口で主を見いだします。それゆえ、天に向かってポカンと口をあけ、わたしが主なる神にお会いすることさえできれば、いっしょうけんめい最大の奉仕をするんだがなあと言いながら立っていないでください。もしあなたが神を愛すると言いながら、目の前に苦しんでいる隣人を憎むならば、あなたはうそつきである、とヨハネは第一の手紙に言っております(4・20)。
それゆえ、みじめな男であるあなたは神に仕えることを望みますか。あなたは、家の中で、召使たちや子供たちの中に主を見いだします。彼らに神をおそれ、愛し、主のみに信頼することを教えなさい。行って、悲しみ病む隣人を慰め、あなたの持ち物と、知恵と、わざによって助けてあげなさい。「実にわたしは、あなたの助けと教えを必要としているあらゆる兄弟の中にあって、あなたにもっとも近くいるであろう。そこに、ちょうどそこに、わたしはいる。それが少しであれ、多くであれ、あなたはわたしにしたのである。一杯の冷い水も決してむなしく与えられることはない。あなたはその千倍のむくいを受けるであろう。しかしそれは、あなたのなしたわざのゆえでなく、わたしの約束のゆえである」
1526年の説教から