主が家を建てられるのでなければ、建てる者の勤労はむなしい。 詩篇127・1
主があなたの家を建て、その面倒を見てくださるのにまかせなさい。主の働きを妨げてはなりません。面倒を見る責任は主にあって、あなたではないのです。あなたの家の主人であり、それを経営してくださる主が面倒を見てくださるままにまかせなさい。家の必要が大きくても心配してはなりません。神は家よりも偉大なかただからです。天地の必要をみたしておられる主が、家の必要をみたすことのできるのは当然です。主がその責任をとってくださるのであり、また、そのみわざをほめたたえよ、と詩篇記者に歌わせておられるのですから、なおさらのことです。
しかしこのことは、主があなたに働くことを禁じておられるということではありません。たしかに働かねばなりません。しかし、あなたが食物と家を持っていることはあなたの働きのせいと考えてはならないのです。それはただ神の恵みと祝福によるのです。それを自分自身の働きのせいにする場合には、すぐ、貪欲と悩みが生じ、多く働けば多く得られるという考えが生じるのです。その時、不思議な矛盾にみちた現象が起こります。すなわち、激しく働いているのにほとんど食べるものがない人がいるかと思うと、他方ではのんぴりと働いて多くの良いものによって祝福されている人々があるという事実です。この事実は、神のみがほまれを受けるに足るかたであることを意味します。神のみが、ものを育てることのできるかただからです。あなたがたとえ百年間、地を耕し、全世界の労力を集めても、草の葉一枚をも生じさせることはできないのです。ところが、あなたが働かずに眠っている間に、神は小さな穀物から葉を生じさせ、みこころのままに多くの穀物を加えられるのです。
詩篇127篇の講解