「子よ、しっかりしなさい。あなたの罪はゆるされたのだ」 マタイ9・2
このことばから、霊の王国の中に絶対的な罪のゆるしがあり、また、なければならないということがわかります。
そこで、罪のゆるしとはどういう意味であるかを、熱心に学ばねばなりません。罪のゆるしと口で言うのはいとやすいことです。ああ、もしことばだけで罪のゆるしがえられたら、それはなんとすばらしいことでしょうか。しかし、実際問題にぶつかったら、罪のゆるしとはなにか、なにもわかっていないのです。なぜなら、わたしのすべての罪がゆるされ、信仰によってわたしが神の前に義とされることを心から信じ、把握することは偉大なことだからです。これこそ実にすばらしい義であって、この世の裁判官、賢者、慎み深い人の義と全く違ったものです。彼らはすべて、義は人の心と魂のうちに努力して得た資質として、存在しなければならないと言うからです。しかし、この福音はキリスト者の義が人の心や魂のうちにある資質ではないと教えます。反対に、わたしたちはあがなわれたものであり、罪のゆるしによって義とされたものであることを学ぶべきです。
聖マタイの日の説教