わたしの心はわがうちにもだえ苦しみ、死の恐れがわたしの上に落ちました。 詩篇55・4
肉体にかけられるあらゆる苦しみは、耐えることができます。心はあらゆる肉体的な苦しみを軽蔑し、その中にあって喜ぶことさえできます。しかし心が苦しみ悩むとき、それは最大の悩み苦しみであります。肉体的な苦しみの中では、あなたがたは半分しか苦しみません。その場合にも喜びとさいわいが魂と心を満たすことができるからです。しかし、心だけが重荷を負わねばならないとき、それを耐えるには偉大で高貴な精神と、特別の恵みと力を要します。
ではなぜ神はもっとも愛する人たちの上に、このような苦しみと悩みがふりかかることをお許しになるのでしょうか。
その理由の第一は、神の民が高慢にならないためです。神から特別の恵みをいただいた偉大な聖徒たちが自分自身に信頼をおかないようにするためです。それゆえ彼らがみ霊の力をいつも持たないように苦しみがまぜあわされ、塩で味つけられ、彼らの信仰が不安となり、心は衰え、それによって彼らは神の純粋な恵みが支えてくださらなければ何もできないことを告白し、彼らのまことの姿を認めるようになるのです。
その理由の第ニは、他の人たちの模範となるために悩みをきたらせるのです。それを見て、自己信頼の魂はおののき、おそれている人たちは慰められます。
第三は、神がこのようなことを許されるまことの理由です。すなわち、聖徒たちにまことの慰めを得る場所がどこであるかを教え、キリストを見いだし、キリストとともに住むことに満足するように教えるためです。
顕現節第1主日の説教