わたしたちは神の作品であって、良い行いをするように、キリスト・イエスにあって造られたのである。神は、わたしたちが、良い行いをして日を過ごすようにと、あらかじめ備えて下さったのである。 エべソ2・10
わたしたちは他に与えることができるようになる前に、受けなければなりません。あわれみのわざができるようになる前に、まず神からあわれみを受けなければなりません。わたしたちが、すみのおや石をすえるのでなく、また、羊が羊飼いを捜すのでもありません。反対に、羊飼いが羊を捜すのです。それゆえわざに関しては、それは神の前になんのいさおしにもならないことを覚えてください。神から与えられたすべてのものは、いさおしなしにうけとったものです。
次に、わたしたちはわざを印章とみなければなりません。それは手紙の署名のようなものであって、わたしの信仰が正しいことを確証するのです。わたしが心のうちに愛から働きがあふれ出てくることを感じるならば、わたしの信仰は正しいことを確信できるからです。またわたしが兄弟をゆるすならば、そのようなゆるしは、わたしの信仰が正しいことを確信させ、神がわたしをゆるしてくださって、日ごとに罪のゆるしを与え続けてくださっているという信仰の保証となり、確証となります。反対にわたしがゆるさないならば、信仰がかけていると結論づけなければなりません。
三位一体後第四主日の説教