「わたしはひとりでいるのではない。父がわたしと一緒におられるのである」 ヨハネ16・32
まことのキリスト者でありたいと願う人は、他の人を必要としないほど自分が強くなり、悪におちいったときも、他の人の助けを求めて周囲を見回す必要がないようにそなえをし、訓練されるように、力と助けを求めるべきです。キリストはわたしたちの模範です。この模範を通してわたしたちは、力が主の恵みからのみくることを知り、学んでゆきます。ダビデもこの体験をして、詩篇142篇に次のようにうたっております、「わたしは右の方に目を注いで見回したが、わたしに心をとめる者はひとりもありません。わたしには避け所がなく、わたしをかえりみる人はありません」
これがたえざるキリスト者のすがたです。彼らはいつも捨てられ、ひとりになります。彼らのそばに立ち助けようとしてくれる人はほとんど信仰がなく、それゆえ、助けることができません。一方、助けることができ、また、その義務のある人は顔をそむけ、かえって最大の敵となります。それゆえ、わたしたちは自分のうちに力を持ち、他の人に求めるべきではありません。
わたしたちは、この主キリストの模範を学び、よく注目する必要があります。キリストの苦しみは孤独のうちに始まっております。あなたがたにも孤独になる時はかならずやってくるのであり、たとえこの生涯のうちに起こらずとも、死の床でかならず起こるのです。それゆえ、すべてのキリスト者は、キリストという力によって武装し、主の約束により、唯一の慰めであり、助けであるキリストに結びついていなければなりません。
ヨハネ福音書16−20章の講解