わたしたちは、真理に逆らっては何をする力もなく、真理にしたがえば力がある。 第二コリント13・8
これはあまりにもすばらしい事実であって、いかなる人間の心によっても把握することができません(それゆえ、当然大きな、はげしい戦いが起こってきます)。これは決して軽々しく扱ってはならない問題です。この真理を理解しない多くの人々や世は、われわれは何もそれほどまでにこの問題についてきびしく争い、それによってキリスト者の愛を踏みつけなくてもよいじゃないかと言います。小さな一点でまちがっても、ほかのすべてが一致するなら、キリスト者の兄弟愛と交わりを保つために、互いに譲って、相違点を見のがすべきだと主張します。
しかし、親愛なる兄弟たちよ、神のことばが失われるとき、どうか平和や一致をすすめないでください。みことばがなければ、永遠の生命も他のすべてのことも失われるからです。この点に関しては、いかなる妥協も譲歩もありません。あなたやだれかの愛は問題でなく、敵であろうと味方であろうと、みことばだけにすべてのものは従わねばならないのです。みことばは永遠の生命を与えるためにわたしたちに与えられているのであって、外面的な平和と統一を推進するために与えられているのではありません。みことばが支配するところでは、他のすべても従います。みことばのないところでは、いかなる一致も存在しません。それゆえ、もし愛とか友情とか言いながら、それがみことばと信仰をこわすものであれば、どうか愛や友情を口にしないでください。福音は愛が永遠の生命、神の恵み、あらゆる天の宝をもたらすと言わずに、みことばがそれをもたらすと言っているからです。
1531年の説教から