「腰に帯をしめ、あかりをともしていなさい」 ルカ12・35
旅に出る者は、長くて広い衣服を脱がなければなりません。又、腰に帯をしめなければなりません。なぜならキリストは、このようにおっしゃっているからです。「競技のためによく準備して、注意していなさい。あかりを手にともしていなさい。かしこく、かつ、巧みでありなさい。たしかなものは何もないからである。死はあなたの家にやってくるが、その時はいつかあなたにわからない。いつまでも生きるかのように働きなさい。しかし、今、死につつあるかのような心でそうしなさい」。これが花婿であるキリストを待ち望みつつ生きるわたしたちが、腰に帯をしめるまことの意味です。しかし、このようなすすめは、わたしたちを地に伏させ、悔い改めにいたらせます。なぜなら、だれひとりとして心から喜んで主の日を待ち望めるほど、十分に準備のできている人はいないからです。わたしたちは、最も邪悪な敵、すなわち、肉を心から愛し、死ぬことを望みません。
そこでもし、このように腰に帯をしめているかどうかわからないならば、あなたの神に向かって叫び、心からの嘆きをあらわしなさい。そうすれば、神はあなたを許されます。これに反して、みことばを軽蔑し、自分自身にたよるものを神は許されません。たしかに神は彼らの邪悪さを悪とみなされます。神は弱さを許されますが、よこしまと侮辱は許すことができません。それゆえ、腰に帯をしめ、十分な備えをしようとしていなかったことを認める人は、神にすべてを告白し、帯をしめることができるように助けを求めて祈りなさい。そうすれば神はその人をゆるし、豊かな助けを与えてくださいます。
1537年の説教から