それは、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、すべて信じる人に与えられるものである。 ローマ3・22
信仰は魂を導いて、恵みにみちた、自由な、祝福された神のことばに似たものとするだけでなく、花婿とその花嫁のように、魂をキリストに結びつけます。この結婚によって、(パウロもエペソ5・31に言っているように)、キリストと魂が一体となります。この結合のうちに両者は、良きもあしきも、すべてのものを共有します。それによって、キリストに属しているものが今や信じる魂に属し、魂に属しているものが今はキリストに属するようになります。キリストはあらゆる良いものと祝福を持っておられますから、これらのものが今や魂に属するようになります。魂は罪とみじめさの重荷を背負っていますが、これらのものは今やキリストに属します。
さてここで、喜びに満ちた交換と戦いがはじまります。キリストは神と人であり、罪は犯されず、そのあわれみは無敵で、永遠で、全能でありますから、信仰という結婚指輪によって、あたかも自分が犯されたかのように、信じる魂の罪をご自分に負われるとき、それらは主のうちにのまれ、溺死してしまいます。主の無敵の義は、あらゆる罪よりも強いからです。このようにして、魂は結婚持参金によりすべての罪からきよめられます。すなわち、信仰によって自由とされ、かせをはずされ、花婿であるキリストの永遠の義を与えられます。
キリスト者の自由について