「主を喜ぶことはあなたがたの力です」 ネヘミヤ8・10
ごらんなさい、この預言者のなんと大胆で勇ましいことか。だれがこれほと力強く決定的な勇気を与えたのでしょうか。また彼はどこでそれを受けたのでしょうか。それは救い主だけからです。人々がわたしたちを救い主から遠ざけようとすればするほど、わたしたちはしっかりと主に結びつきます。人々がより多くの悲しみと、みじめさと、危害をわたしたちに加えようとすればするほど、わたしたちは喜びます。わたしたちの喜びは永遠だからです。そして人々がわたしたちをその喜びから引き出そうとすればするほど、その喜びは大きくなります。
いったい魂がそのような喜びを失うことがありうるだろうかと問う人があるかもしれません。そうです。わたしたちがその喜びを失うや否や、わたしたちは永遠の苦痛にとり囲まれます。その苦痛はそれ自体は永遠ですが、神はその苦痛から民を救ってくださいます。わたしたちが地上にある間、時には失うことがあっても、その喜びは永遠なのです。このことは次のように理解すべきです。すなわち、キリストはわたしの救い主です。もしわたしがこの真理を知り、信じているなら、それにより頼んでいるかぎり、その真理はわたしにとって永遠の喜びです。しかし、心と良心がキリストをさける時、喜びはとまります。恵みはつづいていますが、良心はつまずくことも倒れることもあるのです。このことをあなたがたに告げるのは、あなたがたのうちの多くの人々が福音から落ちてキリストを否定することがあっても、それを見てつまずくことがないためです。それはキリストが慰めと喜びをもってそばにいてくださるところでは、十字架と迫害もそれほど遠くないからです。しかし実際のところ、わたしたちは福音をあまりにも少ししか受けとっていないので、十字架も喜びも持っていないのではないかと思います。わたしたちはいつまでも古い性質の中にとどまっているので、福音の貴重な宝をあざけるのです。
顕現節第一主日の説教、「教皇党の最大の不信仰について」