あなたがたのいのちは、キリストと共に神のうちに隠されている コロサイ3・3
教会は聖霊に支配されています。そして聖徒も同じように聖霊に支配され、生気を与えられています(ローマ8章)。キリストは、世の終わりまでその教会と共におられます。
しかしわたしたちは、教会と呼ばれているものが真に教会であるということが確かであるかどうか、また彼らはその全生涯を通じて迷い出て、最後には正しい道に立ち帰るかどうか、を尋ねなければなりません。預言者エリヤの時代に、支配したり教えたり、その他の役目についての権威を振う高い地位にあったイスラエルの民が、偶像礼拝に陥った時のことをしらべてみますと、エリヤは、自身ひとりが信仰にとどまることを考えました。しかし主は7000人を救われました。しかしだれが彼らを見ることができたでしょうか。だれが、彼らが神の民であったことを知っていたでしょうか。
主イエス・キリストご自身の時代、使徒たちはことごとくつまずいて逃げ去り、偉大なる光栄ある全民衆は、キリストを売り渡し、捨て去り、罪に定め、十字架につけるために一致して、ニコデモ、ヨセフ、マリヤや、十字架上の盗人等わずかひとりふたりが救われた時のできごとは、何でしょうか。多くの者も、また神の民とは呼ばれなかったのでしょうか。あるいは真の神の民は、そこにはいなかったのでしょうか。いいえ、そこにはいました。しかしそれは名も名誉もないものでした。
多くの者が聖徒と呼ばれ、神の民と呼ばれながら、実際はそうでなく、一方、小数のいやしめられた人たちが聖徒と呼ばれなかったのに、真実の聖徒であったということは、教会史の初めからのことではないでしょうか。
奴隷的意志