イエスが歩いておられるのに目をとめて言った、「見よ、神の小羊」 ヨハネ1・36
わたしたちの罪がどこにおかれているか知ることは、わたしたちの最も大きな問題です。律法は良心に罪を負わせますが、神はそれをとって、小羊の肩に負わせてくださるからです。罪がわたしと、世の上におかれるならば、滅びるよりほかはありません。罪はそれほど強力なものです。しかし、神は、こうおっしゃってくださいます、「わたしは、あなたにとって罪を負うことがどれほどきびしいものか知っている。それゆえ、見よ、わたしはそれをわたしの小羊に負わせ、あなたから取り去ろう」。この約束を信じましょう。信じるなら、罪から自由になります。罪の住家は二か所だけです。すなわち、あなたの所に来て、あなたの肩の上に重く乗るか、神の小羊、キリストの上に乗るかです。もし、あなたの背に乗るならば、あなたは滅ぴます。しかし、キリストの上に乗るならば、あなたは自由になり、祝福されます。そこでこの二者選択の道を、あなたの望むままに選んでおとりなさい。ひとつは、律法に従えば当然の道で、罪があなたとともにとどまることです。しかし、恵みによれば、小羊キリストの上に投げかけられます。主が律法によってわたしたちをさばくなら、永遠の滅び以外にはないからです。
これこそ実に強いことばであり、明瞭な光り輝くみことばです。
ヨハネ福音書1章の講解