信仰のたてを手に取りなさい。・・・また、救いのかぶとをかぶり、御霊の剣をとりなさい。 エペソ6・16、17
わたしたちは、戦争に対してそなえをしなければなりません。そしてもっとも必要なものは、よい強いたてです。パウロも言っているように、信仰はそのようなたてです。彼はそのたてをとり、キリストのことばにすがりついて、悪魔にむかって言います、「わたしは罪人であり、わたしは当然歩むべき生きかたをしておらず、なした善行もあまりにも少ないが、しかし、ここにひとりのかたがおられる。このかたはきよく清らかで、わたしのために自分を捨て、わたしのために死んでくださり、父によりそのきよさと義とともにわたしのものとしてわたしに与えられたかたである。それゆえ、あなたはわたしを訴えることなく平和に去らせなければならない。わたしはしっかりとこのかたにすがりついている。わたしの生命と行為は最善のものとしてとどまるのである」。「そして、御霊の剣、すなわち、神のことば」をとらねばなりません。
これは悪魔を打ち、悪魔に打ち勝つための、最後の、しかし最強屈指の武器です。わたしたちは敵に対して自分を守り、敵が攻めてきたときに、負けないように抵抗することができるというだけでは不十分です。それは防御と呼ばれます。わたしたちは攻撃することもできなければなりません。すなわち、敵を追撃し、逃走させるのです。同じように、悪魔に対しても、信仰と希望をわたしたちのたてとし、かぶととして防御するだけでなく、わたしたちは剣を抜いて悪魔を打ち、追い倒し、逃走させて、勝利を得なければなりません。この剣を、パウロは神のことばと言っております。というのは、はがねと鉄の剣は悪魔に対して全く無益だからです。それには御霊の剣でなくてはなりません。
1531年の説教から