言は肉体となられた。 ヨハネ1・14
キリストは、清浄、純潔なきよい誕生をされました。一方、わたしたちの誕生は、不純で、罪にみち、のろわれたものです。わたしたちは、キリストのきよい降誕によってのみ助けられます。しかし、キリストの降誕は、ケーキのように、分割して与えられることもできませんし、また、そういうことができたとしても、そのまま助けとはなりません。しかし、みことばがのべ伝えられるところでは、それは、どこでも、すべての人にむけて差し出されています。そして、これをしっかりと受けいれ、信じた人は、自分自身の罪にみちた誕生によって苦しむことがありません。
これが、みじめなアダムの誕生から、わたしたちがきよめられる方法であり、またこのゆえに、キリストは人となって生まれることをよしとされたのでした。それは、わたしたちがキリストにあって再び生まれるためです。「み旨により、彼は、真理のことばによりわたしたちを生んでくださった。それは、わたしたちが再生し、新しいものとなるためである」。このようにして、キリストはわたしたちからわたしたちの誕生を取り去り、それをご自分の誕生の中に沈みこませ、そのかわりにご自分の誕生をわたしたちに与えてくださいました。それによって、わたしたちが新しくきよいものとされ、あたかもキリストの誕生がわたしたち自身のものであるかのようになるためです。ですから、すべてのキリスト者は、自分もマリヤから生まれたかのように、このキリストの誕生を喜び、栄光を帰さなければなりません。
これこそ、天使の語った大きな喜びです。これこそ、神の慰めであり、すばらしいめぐみです。もし信じるならば、この宝を喜び、マリヤが母となり、キリストが兄弟となり、神が父となるのです。そこで、この誕生があなた自身のものになり、キリストと交換したことを、おぼえましょう。信じるならば、あなたの誕生は捨て去られ、主の誕生を着ているのです。こうして、あなたは、たしかに、処女マリヤのひざにすわり、彼女の愛する子とされているのです。
クリスマスの説教