あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだのである。 ヨハネ15・16
このみことばは、にせの聖徒たちのあらゆる高慢な考えを、たちどころに断ちきり罪にさだめます。彼らは何か価値のあることをして、できれば神と和解し、神と友になるほどの働きをしたいと望んでおります。これは彼らのいさおしを先行させ、神の恵みをあとからついてこさせる自分の選択であり、自分が先頭にたつことを望むのにほかならないからです。この場合、キリストがわたしたちを選ぶのではなく、わたしたちがキリストをたずね求め、キリストを友にし、それによって、キリストが、わたしたちからたくさんよいことを得られたといって、わたしたちに栄光を帰せることになります。これこそ、自分の価値ある行為によって神の恵みにふさわしいものになろうとする世のやりかたです。しかし、福音は、「あなたがたがわたしを選んだのではない」と言います。それは、あなたがたがわたしの友であるのは、あなたがたのわざによるのではなく、わたしのわざによるのであるという意味です。もし、あなたがたのわざによるのであるならば、わたしはあなたがたのいさおしを尊敬しなければならない。しかし、実はわたしのいさおしやわたし自身によるのである。それは、わたしのところにあなたがたを引きよせ、わたしのもっているすべてをあなたがたに与えるからである。それによって、あなたがたの栄光は、あなたがた自身によるものでもなく、世の働きやいさおしによるのでもなく、ただわたしの恵みと愛によるようになるためである。わたしはこれまであなたがたによって見いだされたことはなかった。むしろ、あなたがたが神を知らず、遠く離れており、まよいと罪の中にとらえられていた時、わたしがあなたがたを捜し、わたしのところにひきよせたのである。しかし、今や、あなたがたが祈ったり、何かをする前に、わたしはやってきて、やみの中からあなたがたを呼び出した。このようにしてただ恵みによってすべてを受けとったことを知るに至ったのである。
ヨハネ福音書15章の講解