そこに住む民はその罪がゆるされる。 イザヤ33・24
キリストの国は、罪のさばきの上に成り立っているのではありません。「わたしは罪をさばくために来たのではなく、罪をゆるすために来たのである。罪をゆるされなければ、だれもわたしの国にはいることができないからである。わたしの国は不毛ではない。そこに招かれ、はいったすべての者は罪人である。彼らは罪人であるから、罪のゆるしなしには生きることができない」
こうして、罪人しか神の国にはいることができません。これがキリストの国です。主は聖徒のはいるのを許されずに、全部追い出されます。だれでも聖徒でありたいと願う者は、教会から投げ出されます。しかし、もし罪人が主のみ国にはいるならば、彼らは罪人としてとどまりません。主は外套を彼らの上にかけ、「もしあなたが罪におちいっているなら、わたしはあなたをゆるし、あなたの罪をおおう」と言われます。罪があるということはたしかですが、このみ国の主はそれを見られません。主はむしろそれをおおい、ゆるし、あなたの罪として数えられません。こうしてあなたは生ける聖徒、キリストのまことの肢体とされるのです。
ヨハネ福音書6−8章の説教