あなたがたのうちに良いわざを始められたかたが、キリスト・イエスの日までにそれを完成して下さるにちがいないと、確信している。 ピリピ1・6
聖パウロが言っているように、心の底から感動し、喜び、他の者たちが福音の交わりにはいることを、神に感謝しているというのが、キリスト者の心であり、そのあらわれ、その形態であります。そして彼は、信じ始め、その救いを心に持つ者を深く信頼し、自分の救いでもあるかのように大いに喜んで、どのようにしたら神に十分に感謝できるかを知らないのです。彼はその交わりに多くの者が加わり、すべてのものを完全にし、そこに足りないものを満たしたもう主イエス・キリストの日にまで保ちたもうよう、そして彼らが同じ喜びの日に至るまで、このような信仰と希望に反対しないままでいるように、絶えず神に願い求めています。
聖使徒はこのように、霊と信仰の豊かな驚くべき実に満たされている彼の心の底から、流れ出るように語ります。それは、福音が理解されていることがわかった時の、喜びと幸福にすべてが燃えており、教会愛に満たされていて、教会に望み神に求めることは、教会が増加し、福音にとどまるより以上のものがないことを、彼は知っています。彼は、人々が神のことばを聞き、それを保つことができる時、それがなによりも偉大な尊い宝であると考えています。
三位一体後第3主日の説教