御使が答えて言った、「聖霊があなたに臨み、いと高き者の力があなたをおおうでしょう。それゆえに、生れ出る子は聖なるものであり、神の子と、となえられるでしょう」 ルカ1・35
これらのことばを、み使いは聖なる処女に告げました。それによって、マリヤがこの幼な子のために喜び、あらゆるおそれと悲しみを捨てさるためです。それにもかかわらず、これらのことばは処女マリヤにだけ告げられているのではなく、わたしたちにも語りかけられているのです。ですから、この聖なる処女だけが、幼な子の母でありますが、わたしたちもまた、主の支配とみ国のものとされているのです。もしそうでなければ、わたしたちは絶望です。わたしたち自身のものはすべて過ぎ去り、つかの間のいのちにすぎません。40年、50年、あるいは、百年ですら、いったいなんでしょうか。しかし、永遠の国に属する人にとっては、すべてはよきものであり、生涯を通じいつも喜びおどることもふさわしいことです。
さてこのようにして、み使いのことばは、多くの危険と、罪と、死にみちた、わたしたちのつかの間の生涯を思い起こさせ、わたしたちがそれに耐えられるように励まします。そして、以前には地上になかったみ国、限りない永遠のみ国を示しております。
1544年の説教から