彼らはあなたのものでありましたが、わたしに下さいました。 ヨハネ17・6
地上の人間で、神について考える時、おそれ、おののき、逃げたいという気持をもたずにおれる人はありません。神のことを聞くやいなや、沈黙し、圧倒されてしまいます。ここで語っているのは、野蛮人についてではなく、罪を感じ、良心が刺されている人たちのことです(わたしたちが宣教するのは、このような人たちにたいしてだけです)。良心は目ざめ、神が罪人にたいして怒っておられ、罪にお定めになり、神の怒りからのがれる道はないということを感じ、知っております。それゆえ、彼らの良心はたじろぎ、おののき、ゆれ動き、力を落とし、あおざめ、いなずまといかずちの前に立っているようにぞっとしています。そこでキリストはこのようなおそれを力強く取り扱い、やさしい慰めのことばを心にさしこむ必要がありました。それによって、重苦しく悩み苦しむおそれの思いが取り除かれるためです。また、キリストは、人が思いも及ばなかった愛の父なる神を示されました。そこでわたしたちは魂の唯一の慰め、また、救いとして、これらのことばを心から受けとり、心の中に刻みこもうではありませんか。もし、あなたがたが主キリストにしっかりとすがりついているならば、あなたがたは、たしかに、神が世のはじめからご自分のものとして選んでくださったひとりです。もしそうでなかったら、あなたがたがキリストのところへきて、このような啓示を聞き、受けいれることはなかったでしょう。
ですから、福音を知らず、キリストに聞こうとしない人が悩むなら、悩むままにさせておきなさい。しかしあなたは、主の啓示をいただいたことと、神の愛する子にしていただいたこと以上に、この世にすばらしいものはないことを知るべきです。そしてそれは、みことばがあなたを喜ばせ、恵みのうちにあなたの心がキリストヘ向けられたことによるのでした。このようにしてキリストがご自分をあらわしてくださったので、主のみこころとあなたの救いに関するすべてを知ることができるのです。
ヨハネ福音書16−20章の説教