「わたしはよい羊飼いである」 ヨハネ10・14
このことばは、わたしたちの主イエス・キリストの恵み深い姿を目の前に描きだす、すばらしいみことばであり、主がどのようなかたであり、どんなことをされ、人々の前にどのように現われたかを教えます。
もし、キリストはきよいかたであるかどうかと聞かれれば、わたしはちゅうちょなく、「しかり」と答え、わたし自身のきよさの前に、主を盾のようにおくでしょう。わたしはまごころから主に信頼します。わたしは主にあって洗礼を受け、福音のうちに署名と証印を受けたからです。それは、わたしが主の愛してくださる小羊であり、主がよい羊飼いであって、失われた小羊を捜し求め、律法によらない方法でわたしを取り扱ってくださるという署名であり、証印であります。主はわたしからなにも求められません。主はわたしを追いやりません。主はわたしをおびやかしません。おどかしません。ただ主はそのやさしい恵みを示してくださり、わたしよりも低い所までご自分をへりくだらせ、ご自分の上にわたしを負い、それによって、わたしがやすらかに主の背に横たわり、かつがれるままに運ばれるようにしてくださいました。そうだとすれば、わたしはどうしてモーセや悪魔のいかずちと地震をおそれなければならないでしょうか。わたしはご自分のきよさと、もっているすべてを与えてくださったかたの保護下にあります。わたしがこのかたの小羊としてとどまり、主を疑わず、故意に主から離れないかぎり、主はわたしを支え、守ってくださいます。
1532年の説教から