律法を行うことによっては、すべての人間は神の前に義とせられない。 ローマ3・20
わたしはしばしば、わざと信仰は区別すべきであると言ってきました。このことが再々語られ、よくわかるように説教されてきておりながら、いざこの区別によって判断し、正しく行動しなければならないたいせつな時になると、だれもが間違うのです。信仰は良心において神に向けられるべきもので、人の法律であれ、神の律法であれ、いかなる定めもそれに反対することはできません。それゆえ、なにかのわざか行為をあなたの良心に強制し、神に反対させようとして、「あなたはこれをすべきだ」と言うものがあれば、これこそ悪魔の教えにほかならないのです。信仰とわざは、天と地が遠いように、日と夜とが離れているように、できるだけ離しておかねばなりません。それによって、信仰が心と良心のうちにのみとどまり、一方、わざが良心から身体へと引き離されてゆくためです。信仰は上なる天に属します。わざは地上に関係すべきです。信仰は神に向けられ、わざは隣人に向けられます。信仰は律法の上にあり、律法の外にあります。わざは律法の下にあり、律法の奴隷であります。
1525年の説教から