神の霊はわたしを造り、全能者の息はわたしを生かす。 ヨブ33・4
神がわたしを造られたということは、わたしの強い信仰です。すなわち、神は、わたしのからだ、いのち、魂、四肢、五感、理性、理解、それから、食べもの、飲みもの、着物、妻、子供、しもべ、家、家庭を与え、たえず、支えてくださるのです。さらに、全被造物をわたしたちの日ごとの生活の益となるようにしてくださいます。天にある太陽、月、星、夜、昼、さらにまた、火、水、地球、地球の産出する、たとえば鳥、魚、家畜、穀物、各種の植物などすべてのものです。それからまた、他のこの世的な恵みもあります。よい支配者、平和、安全がそうです。このように見てくる時、いのちにしろ、以上述べたものにしろ、その他どんな小さく、無価値に見えるものでも、自分でそれを保持するとか、維持することができる人は世の中にひとりもいないのです。なぜなら、これらすべてのものは、「造り主」という一言のうちに集約されるからです。それにもかかわらず、この真理を信じる人があまりにも少ない事実について、もしここでその理由を述べるとすれば、多くの紙面をさかなければなりません。わたしたちすべてはこの真理を見のがします。わたしたちはこの真理について聞き、また、くり返します。しかし、このことばの真意を理解しません。また、それについて思いめぐらすこともしません。なぜなら、もしわたしたちが心の底からこの真理を信じるならば、この真理と一致した生き方をするからです。あちこち誇らしげに、ごうまんに歩き回って、いかにもわたしたち自身で、いのちや、富や、力や、ほまれを持っているかのごとき態度をとらなくなります。そうでないならば、よこしまで邪悪な世がそうであるように、たえずこれらのものをおそれ、それに仕えなければなりません。それゆえ、この真理をまことに信じるならば、それはわたしたちすべてを、けんそんにし、驚かせます。なぜなら、わたしたちは毎日、目、耳、手、からだ、魂、金、財産、その他持っているすべてのものによって罪を犯しているからです。
大教理問答書