からだのあがなわれることを待ち望んでいる。 ローマ8・23
喜びをもってわたしたちはその日を待ち望み、神を呼び求めること、ついにはこの望みのない不信仰な世における神のみ名と善と血に対して、神が復しゅうしたもうこと、そしてキリスト者はそれ以外には祈ることができず、祈るべきではないことを日々の主の祈りは、わたしたちに教えてくれます。洗礼と福音、神のみ名とみ国のゆえに、このように責められ苦しめられていて、地上においては他に助けも慰めもないキリスト者以外、だれがこのように祈るでしょうか。だれでもこの日を待ち望むことを、経験によっては学びませんし、心の底からそれを祈ることができなければ、主の祈りを真に理解しているのではありません。わたし自身主の祈りに反対であることを感じているなら、わたしはむしろ、他の祈りを多く唱えるでしょう。けれども、もしもあなたがたが大きな困難のうちにあるならば、主の祈りはあなたに尊いものとなり、心の底から喜んで祈るでしょう。この世の嘆き悲しみがついに終わろうとするとき、だれも「悪から救い出してください」と、心を込めて祈り求めることはしないでしょう。なぜならこの世は、存在しているままに留まろうとし、その古い皮を脱ぎ捨てようとせず、よくなろうとせず、なることもできず、むしろ日々悪くなっていることを、わたしたちは見ているからです。
1531年の説教から